函館本線
倶知安 駅から東に5Km。国道276号 尻別国道に面する長願寺から300mほど東、国道の北側に「学校教育発祥之地八幡」と書かれた大きな石碑が建っている。ここはかつて
八幡 小学校があった跡地で、発祥碑の傍らには二宮金次郎の像が淋しく建っている。石碑の背後は広々とした草原になっている。碑文に書かれているように、明治29年(1896) に倶知安小学校が開校され、明治43年(1910) にこの地に移転してきた。小学校は後に八幡小学校となり、昭和59年(1984) に新設の東小学校に統合されたため廃校となっている。つまり倶知安で最初の学校がこの地にあったことで“学校教育発祥の地”と呼んでいるのだろう。
しかし、ここから150mほど西には“倶知安小学校発祥の旧跡”の碑があり、あらためてこの地を教育発祥の地としたのは何故だろうか。何か事情があったのかもしれないが、詳しい記録が見あたらないため不明である。
あはは!
やっぱ八幡か!
倶知安神社
境内末社 蝦夷富士 羊蹄山神社
境外末社 倶知安神社頓宮
猿田彦・天鈿女
特殊神事 倶知安赤坂奴
所在地 044-0072虻田郡倶知安町字八幡476番地
0136-22-0666
0136-23-4820例祭日 7月28日祭神誉田別尊(ほんだわけのみこと)
阿倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大山祗神(おおやまつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
玉姫稲荷大神(たまひめいなりのおおかみ)旧社格郷社社殿様式流造本殿様式流造社殿面積52坪境内面積6,056坪(20,023㎡)氏子世帯数6,785世帯御朱印■御朱印受付 : 常時
■受付時間 :
■兼務社・境内社の御朱印:
倶知安神社頓宮(倶知安神社境外末社)・羊蹄山神社(倶知安神社境内末社)の御朱印を受付しております。
・京極八幡神社(兼務社)は京極八幡神社社務所で書き置きにて対応しております。交通機関JR倶知安駅から道南バスで8分「八幡保育所」下車
由来クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治二九年四月二日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年九月三月に現在に遷座した。翌年一月二四日許可される。大正七年、村社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定される。大正一一年、郷社に昇格。同一四年に社務所焼失。翌年再建。昭和一七年、石造大鳥居を再建し、斉明天皇の御代に「阿倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く」とあることから、後志開拓の祖神、阿倍比羅夫将軍を増祀する。昭和二二年、北四西一に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を三〇年迄に再建、三四年ね南一東二へ移設。二七年倶知安八幡神社に改称。四〇年一一月五日、不老者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、四八年に再建。四一年に現者名に改称した。平成七年一二月一六日、鎮座一〇〇年祭を斎行。平成二七年一一月八日、鎮座一二〇年祭斎行
特殊神事倶知安赤坂奴所作(倶知安町無形民族文化財)
倶知安町赤坂奴保存会の赤坂奴所作が、倶知安町文化財保護条例の民俗資料に指定され、昭和60年7月1日、倶知安町無形民族文化財第1号に指定、渡御先駆として、昭和8年より参加、道具衣装を神社が所蔵している。
境内外末社蝦夷富士羊蹄山神社 大山祗神 大國主神 豊玉姫命
倶知安神社頓宮 誉田別尊 大国主神 事代主神
9/09/2024
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1890年 明治23年 官林200万町歩、御料局に引き渡され御料林となる
返信削除井上内親王の子に雷神いましたよね。いまそれを名乗ってるのはほとんど偽物ですかね。
返信削除6×6の魔法陣の総和数=666
返信削除因みに"太陽"の魔法陣とのこと
見晴らしがよすぎて起きる道路特有の事故
返信削除見晴らしがよすぎるから、クロスロードの車がよく見える、、はず
ところが、両方とも、それぞれの一定速度でクロスに突っ込んでくると問題が生じる。
このとき、相手の車は、視野の中では、一点にはりついて動かなくなるのだ
最後のまぎわ、視野の中心から30度くらい離れたとこから、ど真ん中に物体の姿が瞬間移動するのだが、なぜそんなことが可能なのか、難しい問題だ
テレビでやってたよんw
削除津山・イナバ化粧品店前にも
返信削除おなじみの八幡神社ww
https://okayamastyle.com/inabakesyouhinntenn/#toc3
八幡... 次は三井さんぐらいでしょうかね
返信削除「祭神
返信削除誉田別尊(ほんだわけのみこと)
阿倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大山祗神(おおやまつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
玉姫稲荷大神(たまひめいなりのおおかみ)」
うちはここ、おいらんちは、、と入植民が持ちよった神様をぜんぶお奉りしたら、ここまで増えたんでしょうな。
これなら、うちはオヤジんちは縄文(正確にいうと中央アジアから草原地帯をぐるっとまわって本邦までやってきたトルコ系か白人系)出雲系の大国主命で、ママんちは扶余系のアマテラスなので、こういう神社なら、もめずにすんでよかったんですが、、
ただ、おいらが崇拝しているのは、スクナヒコナ(少彦名)なわけで、こんな神社は、どうでもいいです
ご加護消失中www
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