国産エレキギターブランド「FERNANDES」販売の(株)フェルナンデスが事業停止、破産へ
7/13(土) 8:49配信
(株)フェルナンデス(戸田市)は7月11日までに事業を停止。「現在、複数の債権者に対して、相当額の債務を負担しており、誠に遺憾ながら事業の継続が不可能な状況」として破産手続きを杉田聡士弁護士(弁護士法人オリオン池袋東口法律事務所、豊島区南池袋2-15-3)に一任した旨を本社に掲示した。 負債総額は4億3389万円(2024年1月期決算時点)。 国産エレキギターブランド「FERNANDES」の販売を中心に事業を展開。著名アーティストとライセンス契約を結ぶなどブランドの知名度は高く、ギター職人の養成学校も開設していた。 ギターのほか、ベースやアンプ、エフェクターなども扱い、製造は外注委託を基本としていた。資本関係はないものの関係の深かった(株)大阪フェルナンデス(大阪市北区)や全国の楽器店などへ販売するほか、海外輸出も手掛け、1999年1月期には年間売上高40億円台に達していた。 しかし、近年は中古市場の台頭や競争激化などで業績が悪化。カタログ作成や新製品のリリースなどで巻き返しを目指したが、2022年1月期は売上高1億6608万円まで落ち込み、2414万円の最終赤字を計上した。さらに大阪フェルナンデスが販売低迷などで2023年4月26日、大阪地裁より破産開始決定を受けた。当社の信用も低下するなか、資金繰りが限界に達し、事業継続が困難となった。https://news.yahoo.co.jp/articles/3315e0bd4b1ffd940e01003117724f697a4b97a1
前身となる斉藤楽器は1969年2月設立。当初はクラシックギターの販売が主であった。1972年10月に社名を現在のフェルナンデスに変更。同年から本格的にエレキギターの販売を開始する。
当初は主にフェンダーやギブソンのコピーモデルを販売していた。フェンダー系はフェルナンデスブランド、ギブソン系はバーニー (Burny) ブランド、プロアーティストの特注モデルに特化したP-PROJECTと棲み分けがされている。廉価価格帯用にTARGET、Vester (Vester MANIAC) ブランドも存在した。
使用ギター
MG-X[編集]
hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデルを愛用していた。
hideがフェルナンデスと契約した当時は既にモッキンバードモデルの生産は終了しており、hideが契約時にモッキンバードモデルが欲しいとリクエストした事から、hideシグネチュアモデルとしてモッキンバードシェイプが復活、再生産される事となった。
様々な構造、材、カラーリングの物が存在するが、ここでは歴代のメインギター等、代表的なもののみを紹介する。本人使用モデルはアクリルボディ等一部の例外を除き全てスルーネック構造。ちなみにhideの使用するギターのレプリカモデル(値段にして8万円から45万円のもの)がフェルナンデス社から発売(一部を除き生産終了)されている。アーティストモデルとしては彼の生前、死後を問わず過去に例がないほどの驚異的な売れ行きを見せ、ここからもhideというギタリストの人気の高さと影響力を窺い知る事が出来る。
FERNANDES FMG-175 アーミーパンサー
東京御茶ノ水の楽器店で購入した最初のモッキンバードモデル。購入の動機は、当時10代だったhideがBOWWOWの斉藤光浩がモッキンバードを使用していたのを知ったのと、リック・デリンジャーがモッキンバードを持っているポスターを見てこの独特なシェイプのギターに興味を持った事から。御茶ノ水の楽器店をいくつも回り「あっちの店はもっと安かったよ」と値切り交渉をして購入した。サーベルタイガー~X加入後の88年中頃までメインギターとして使用された。
Xの1stアルバム『Vanishing Vision』のレコーディングでもメインギターとして使用された。
ピックアップはフロント・リア共にディマジオのデュアルサウンドが搭載されていたが、リアのみEMG81(9V電池が必要なアクティブピックアップ)に換装、更に2つ直列で搭載されていたブースタースイッチもスイッチだけを残し、中の配線は取り外され、ペグもつるしのグローバーインペリアルからシャーラー製へと交換されている。
ブリッジは後のMG-Xで定番のチューン・O・マチック仕様ではなくB.C. Richと同じバダスブリッジが搭載されており、更に低音弦側のみ裏通しが出来るようにボディに貫通穴が開けられている。
ボディカラーはナチュラルで、購入後にテープや雑誌の切り抜き、フライヤーやステッカー、布等が貼られ、目まぐるしくそのルックスが変化して行ったが、最終的には迷彩柄とヒョウ柄の布を貼り付けたルックスになり、これがアーミーパンサーの名前の由来となった。
上記の通り、ギターにペイントをする以前から使用する楽器のビジュアルにも拘って試行錯誤をしていたが、楽器としてのメンテナンスや手入れはそれほど入念には行っていなかったようで、『Vanishing Vision』のレコーディング時に「フレットが音痴になってる、いくらチューニングしても音程が合わない」という事態に陥り苦労したと言う。
既にこの時点でサスティナーが搭載される1994年まで続く、リアにEMGのアクティブピックアップ、フロントにディマジオのパッシブピックアップを搭載するという組み合わせが完成している点はギタリストHIDEを語る上で特筆すべき点である。
使用していた時期がインディーズ時代のため、専属のギターテックなども居らず、楽器店で働いた経験のあるPATAに弦高調整、トラスロッド調整と言った細かいセッティングをしてもらう事があった。PATA曰く「弦高が凄く低いから音がちょっとビビるって。ならちょっと貸しなさい!って・・・鹿鳴館の階段のところでやった事がある。」
モッキンバ-ド "アメーバ"
1989年初頭頃から1990年後半頃までのメジャー・デビュー期に使用していたギターで、下記ペイント登場以前のメインギター。当時のローディーから借りた物をペイズリー柄にペイントしてしまい、後にローディーから買い取った物。個性的なペイントの他、歴代メインギターの中で唯一、指板のポジションインレイが雲型(クラウドインレイ)ではなく菱形ダイヤモンドインレイであった。
当時の雑誌に掲載された際、hideのエンドースメント契約の関係上「FERNANDES製MG-X」と表記されていたが、ヘッド部のメーカーロゴが書いてる箇所にツタンカーメンのオーナメントを貼り付けてメーカー名が隠される等、メーカー不明の謎の多いギターであった。
hide本人曰く「実は唯一持ってるB.C. Rich製」と語っていることからB.C.Rich製であるというのが当時からの定説であったが、ヘッドのツタンカーメンが剥がれて「F」のロゴが確認できるライブ映像が残っている。
フェルナンデスFMG-175と同時期に販売されていた廉価版のFMG-150はヘッドにはFロゴ、指板のインレイはダイヤモンド型と本機の特徴と符合するため、本機はFMG-150であるとする説もあるが、ボディ裏のスルーネックのジョイント部のヒール形状とウォルナットラインの太さ、ヘッド部の形状、ボディの形状、ボディトップのスイッチの取り付け位置など、フェルナンデスのFMGシリーズとは明らかに異なる点が数か所あり、依然としてメーカーは謎のままとなっている。
オリジナルはナチュラルフィニッシュ。ボディトップとサイドのみ黒く塗装し、その上からペイントされ、更にステージ映えするように蛍光塗料も使われている。
ボディ裏にはトレモロとそのスプリング用のキャビティを埋めた跡があり、元々はトレモロ(恐らくケーラーのロック式)が搭載されていた物をチューン・O・マチックブリッジに改造し、更に低音弦3本のみ裏通しできるようにボディに穴が開けられている。
ナット上部にはロック式トレモロを搭載していた名残なのか、それとも弦のテンションを稼ぐために意図的に取り付けたのかは不明であるが、通常ロック式トレモロ搭載のギター以外には取り付けされないテンションバーが取り付けられている。
ピックアップはフロントにディマジオのデュアルサウンド(現スーパーディストーションの4芯モデル)、リアにEMG81を搭載、コントロール部も当初はボリュームやトーン、セレクター以外にもブースタースイッチ等、所詮B.C. Rich仕様の多機能で沢山のスイッチが搭載されていたが、これらの回路とスイッチは89年中に全て取り外され、後のペイントと同様の1ボリューム、ピックアップセレクター、ダイレクトスイッチのhide定番の3点コントロールに改造された。
ダイレクトスイッチをONにすると手元のボリュームノブのメモリの位置に関係なくそれらの回路をカットし、アンプ直結でボリューム10で音が出るという回路である。このスイッチは以降全てのhideモデルに搭載されるようになった。使用されてきたギターの中で、最も大掛かりな改造や手直しが加えられたギターである。
使用期間は2年足らずであったが、当時のXは全曲半音下げチューニングで、レコーディングもライヴもトラブルが起きない限りはこのアメーバ1本で通す事も多く、更にライヴ中にギターを振り回したり、ストラップを片方外して犬のリードの様に掴みステージ上でギターを引きずり回すなどのパフォーマンスも行うなどかなり酷使していた為、ギター本体がボロボロになってしまい、ペイントへとメインギターの座を引き継ぐ事となった。
hide曰く「他のギターより音がデカいから気に入っている、ちょっとラフな感じのトーンだけどね。今はこのギターがメイン」と、当時は気に入っていた様子であったが、音質自体は当時メインで使用していたアンプであるマーシャルJCM800との相性も相まって「鉄板に弦を張ってるみたい」と言う程、中音域が出ない固く冷たいドンシャリ傾向の音で、このギターの音の反動で次期メインのペイントに中音域が強く出るモンキーポッド材を採用する事となった。
FERNANDES MG-X "ペイント"
黒ボディを元にhide自身がポスカでサイケペイントを描いたもの。メジャー・デビュー初期に使用していた為、HIDEモデルと言えばこのギターを思い浮かべる人が多い。
ピックアップはフロントにディマジオ DP-101デュアルサウンド(現スーパーディストーション)、リアにEMG81のピックアップを搭載している。これにはボディ材にモンキーポッドが使用され(ネックはメイプル)粘りのある中音域をhide自身が気に入っていた。
4-6弦のブリッジ箇所には弦のテンション感確保の為の裏通し穴が開けられている。本人が使用していた物はボディ裏にも白色でペイントが描かれていたが殆ど消えてしまっている。
コントロールは改造後アメーバと同様のボリューム、ピックアップセレクター、ダイレクトスイッチ。この頃からレコーディングでMG-Xを使用する際のボリューム操作は「音ヌケが全然違う」という理由で、ボリュームノブは使用せず、ダイレクトスイッチONでフルボリュームで録音するようになった。
以前のメインのアメーバ、初代のアーミーパンサー、その他サブ用のMG-Xなど、改造を加えられたり、仕様変更を繰り返してきた初期MG-Xの集大成とも言えるギターで、HIDE手描きのペイントが完成してからは殆ど手を加えられる事は無く、改造と呼べる物はメインとして使用された期間の晩年にフロントピックアップのコイルタップ用のミニスイッチをダイレクトスイッチ横に増設と、フロント側のストラップピンの取り付け位置をボディ裏に変更した、この2点のみであった。
Burny MG-X "チェリー・サンバースト"
hide所有の1959年製ギブソンレスポール・スタンダードのスペックを盛り込んだもの。レスポールのメイプルトップ+マホガニーバックの構造を取り入れながら、他のMG-X同様のスルーネック構造を実現するため、マホガニーネックをマホガニーボディバックで左右から挟み、トップにブックマッチしたメイプル材を貼るというモッキンバードシェイプのギターとしては複雑な構造となっている。このモデルとレモン・ドロップ以降に製作されたモデルはすべてこのレスポール仕様のラミネート構造を採用している。ピックアップはhideのために開発されたフェルナンデスVH-401にサスティナーを搭載したもの。この仕様は少々の変更はあったがこの世を去るまでMG-Xの最終型となり、それ以降の「イエローハート」、「サイエンス」、「基盤」(全て通称)なども同仕様となっている。
チェリー・サンバーストはサブを含めて数本が製作されている。初号機はネックグリップはUシェイプ。ボディ厚もそれまでのMGより5mm厚くした42mm。初号機のサブとして製作されたものは45mmのボディ厚であった。後に塗装を白くリフィニッシュされ1994年末のX JAPANライブ「白い夜」で使用された。2号機以降はネックグリップをVシェイプに変更している。
Burny MG-X "レモン・ドロップ"
チェリー・サンバーストと同様にギブソン・レスポールのサウンドスペックを目指して製作されたもの。このレモン・ドロップのボディは特に厚い45mmで製作された。ピックアップはサスティナードライバー+VH-401。
ボディが厚い分、音も中低音がよく出てHIDE本人も気に入っていたそうだが、他のMG-Xより少し重量が重く、ライヴでの使用頻度はチューニングにより使い分けられ、限定的であった。
Burny MG-X "イエロー・ハート"
後期のメインギター。1996年12月30日・31日の東京ドーム2DAYS公演「DAHLIA TOUR FINAL」で初登場。ネック・グリップはVシェイプを採用。hide本人が着用していたハート柄のTシャツに着想を得て、黄色のボディに赤のハート柄のデザインとなり、hide曰く「ロリロリのギターでゲロゲロのリフを弾く」をテーマに制作された。キューティハニー調の文字があしらわれているほか、一つだけ黒く塗られたハートがある。主に「紅」、「DAHLIA」などの半音下げチューニングで使用。チェリーサンバーストとは異なり、塗り潰しの分厚い塗装のため、チェリーサンバーストよりも低音が強く出る特性があると言う。
ピックアップはサスティナードライバー+VH-401(完成時)、後にリアのみディマジオ DP-100 スーパーディストーションに換装。
2023年7月27日に行われた「hide Memorial Day 2023 "hide with Spread Beaver appear!! in TOKYO"」にて、盟友PATAがこのギターで最終曲のTELL MEを演奏した。実際の演奏に使用されたのは1997年のX JAPAN THEA LAST LIVE以来、25年ぶり。
Burny MG-X "サイエンス"
1996年の東京ドーム公演で初登場。ドロップDチューニングの曲(「SCARS」)で使用。ボディトップにペイントされているロボット(宇宙人?)はアルバム「PSYENCE」のジャケットに描かれていたもの。ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-159エヴォリューション。
Burny MG-X "グリーン・ハート"
イエロー・ハートの色違いとして製作され、X JAPAN THE LAST LIVEで初登場。「RUSTY NAIL」などのレギュラー・チューニングで使用されていた。hide着用の衣装をもとにした蛍光グリーンのペイントを目指したが光沢感を出すのに苦労し、塗料にパール剤が混ぜられている。
イエロー・ハートでは、ボディエッジ部のハートは形を保って塗られているが、グリーン・ハートではイエロー・ハートの市販廉価版などと同様にボディエッジ部のハートの形は欠けている。
ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-100 スーパーディストーション。
Burny MG-X "基盤"
グリーンハートと同時に製作され、当初、X JAPAN THE LAST LIVEでメインとなる予定だったギター。緑色のボディに文字通り基盤が描かれ、マスターボリュームノブの横に当時のhideの公式サイトのURLがプリントされていた。更に基盤の黄土色の箇所はボディの木目が透けて見えるように塗装されるなど、かなり細部まで拘ったカラーリングであったが、完成したのがライブ本番直前のリハーサルの時で、音を出してみたところ、ボディーの塗装処理の都合で音抜けが良くなかったという理由でメインで使用される事は無く、当日はイエローハートのサブとしてセットアップされていた。6弦にヒップショットDチューナーという、ワンタッチで1音下げられるペグを取り付けていたのも特徴。
ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-100 スーパーディストーション。
Burny MG-X プロトタイプ
リアにセイモアダンカンのJBをマウントしたプロトタイプやセンターにシングルコイルを増設したプロトタイプ、ボディ材を変更したプロトタイプ等も存在し、常に理想の音を求めて試行錯誤していた様子がうかがえる。
Gibson Les Paul STANDARD
中学生のときに祖母に買ってもらった最初のギターであるGibson LesPaul Delux以来、MG-Xをメインにしていたhideはレスポールを持つことがなかったが、PATAの所有するレスポールを借りて弾いているうちに「レスポールってこんなに良かったっけ?」と驚き、渡米時に購入を計画。主にレコーディングでの使用を目的に1994年に購入した。シリアルナンバーは「9 0297」。PATAの所有する1959年製レスポールスタンダードとは2番違いで、全くの同一またはそれに近い時期に作られたもの。モトリー・クルーのミック・マーズが所有していた個体。非常に高価、希少で価値のあるギターであるが、PATA曰く、ギターにペイントをすることやステッカーを貼るのが好きなhideはこのギターにもステッカーを貼り、PATAに怒られたという。購入以後はほとんどすべてのレコーディングに使用されるギターだったが、購入したことが嬉しかったのか一度だけライブで使用された(1993年12月31日のX JAPAN東京ドーム公演「X JAPAN RETURNS」でPATAの1959年製サンバーストと共に「JOKER」の演奏に使用)。このギターのサウンドを目標にチェリー・サンバースト以降のMG-Xは製作されている(メイプルトップ・マホガニーバックのボディ構造、パッシブピックアップへの変更等)。
Martin D-18
アコースティック・ギター。自宅での曲作りやアコギパートのレコーディングなどで使用。「hideがいつでもギターを弾けるように」と、hideと共に棺に納められている。
Burny H CUSTOM "くじら"
PATA所有のコリーナ材で制作されたエクスプローラーモデルを弾いたところ、そのサウンドをいたく気に入ったため、同じ木材を用いてフェルナンデス社のHシリーズ(布袋寅泰のシグネチャーモデル)のシェイプで製作されたギター。ピックアップにトム・ホームズH-453を搭載。H CUSTOMは通称シャチと呼ばれていたが、hideが勘違いでくじらと呼んだためこの愛称となった(アメリカでの商品名はVERTIGO)。主にJa,Zooのレコーディングで使用されていた。
Burny HR-195/REBIRTH
"くじら"をベースにhideオリジナルモデルとして製作が進められていたモデル。このモデルの最終調整の打合せ予定日の前日にhideが逝去。その後、hide MUSEUM設立に合わせて製作されている。その後、木材をホンジュラス・マホガニーへ変更して限定300本で発売された。ボディの形状はオリジナルのものでMG-Xとくじらの特徴がミックスされている。ピックアップはこのモデルに合わせて新開発されたCYBER FUTURE SONIC SCANNER(フェルナンデス HS-001F/R)を搭載。ネックはボルトオンジョイント、塗装もナチュラルフィニッシュで、hideモデル定番のダイレクトスイッチやサスティナーの搭載もなく、トラスロッドカバーも付けられているが、これはhideとの打ち合わせ前でこのモデルが未完成のものであったため。hideはX JAPAN解散後の雑誌インタビューにて「X JAPANでは24フレットのギターが必要だったが、ソロでは必要ない」「サスティナーは要る」等の発言を残している。このモデルが完成していたとしたらどのような姿になっていたのかは誰もわからない。
FENDER STRATOCASTER JEFF BECK MODEL
hideが自分で購入し、ボティ両面に写真等を切り貼りしてカスタムした。hide所有の唯一のフェンダー社製ギター。
FERNANDES JG CUSTOM
PSYENCE A GO GOツアー開始前、フェルナンデスに、ツアー用にMG以外のギターを用意して欲しい。エディ・ヴァン・ヘイレンみたいなギターがいい。ピックアップはリア1発でいい」と、リクエストして製作されたもの。
市販のフェルナンデス・JGシリーズをカスタムして製作され、フロントピックアップを撤去し、リアのハムバッカー(ディマジオのエアーゾーンをマウント)に、コントロールは1ボリュームというシンプルなレイアウトにし、クリアピックガードを取り付けたが、どうしてもフロントピックアップを撤去してがら空きとなったキャビティーが気になるという事で、フェルナンデス側が独自にシールドをプラグインするとイルミネーションが点灯するギミックとダミー配線を仕込み、サイバーなルックスのギターとなった。このギターの製作期間は僅か5日間だった。hide本人はこのイルミネーションを「トレーニングマシーンみたい」と、いたく気に入っていた。
尚、改造に使用されたダミー配線は当時フェルナンデス側が秋葉原の電子部品を扱うお店へ直接出向き購入した物が使用されている。
Burny H-65 CUSTOM
1994年のソロツアー時に使用。Fernandesの製品カタログからオーダーし、ピックアップとピックガードのみ変更。ピックアップは、フロントがVH-401、リアがVH-4。
使用弦とピック
フェルナンデスHGS-1200(hideシグネチュアモデル・ゲージは009-046)、それ以前はアーニーボール・ハイブリッドスリンキー、デビュー初期はフェルナンデス製の弦を使用、いずれもゲージは009-046を使用していた。初期の頃、『BLUE BLOOD』に代表されるような低音弦の速いオルタネイトのバッキングに重きを置き、そのサウンドにも拘り、一時6弦に052や050という太めの弦を使用していたこともあった。
フェルナンデス・スキャナー(hideシグネチャーモデル)、ジムダンロップ・ナイロンスタンダード0.73mm(PATAが使用してる物と同一)、ジムダンロップ・トーテックススタンダード0.73mm。ピックはその日の腕のコンディションや気分によって使い分けていたという。
公式HP ヒストリー が 1998年で終わっている件
返信削除https://www.fernandes.co.jp/company/history/
一頃は良質の弦楽器やハモンドを製造いていたSuzuki や
返信削除高品質の管楽器をつくっていたヤマハもどうなることやら…
グレッチも一時期憧れていたんですが
返信削除やはり向こうなんでしょうね
神田商会を切ったフェンダーを思い出しました。
返信削除バーニーといえば、大塚愛さんも使ってませんでした?
フェらなんですw
返信削除ファーなんですw