1/19/2025

同人誌『聖杯』を創刊した西條八十から「王白石言う詐欺」編曲家まで芋づる式に。LoL

 

1/05/2025

部屋に聖母マリアの絵が掛けられていた日夏耿之介(小林十三の親戚)の同人誌『聖杯』と日本民俗学の創始者、柳田國男。LoL



日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年明治23年〉2月22日 - 1971年昭和46年〉6月13日)は、日本の詩人英文学者。本名樋口 國登(ひぐち くにと)(通称は「圀登」の字体を愛用)[2]は夏黄、黄道人、黄堂主人、聴雪盧主人、石上好古、溝五位など30数種類存在する。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。
生い立ちと学究
長野県下伊那郡飯田町(現飯田市知久町)に樋口藤治郎、以志(樋口龍峡の姉)の長男として生まれる。樋口家は清和源氏につながる家系で、数百年前に木曽から移った。祖父興平は北原家から養子に入り、文芸を好む考古学研究家で、郊戸神社、愛宕神社の宮司を務めた。父は伊藤家から養子に入り、信濃商業銀行、百十七銀行の支店長を務めた。母方の親戚に勤王家松尾多勢子がいる。いとこの妻は小林一三の姪。のちに歌集『貞心抄』を出した母の薫陶を得て育つ[3]。飯田尋常小学校に通い、当時『小学新聞』(北隆館)に投稿文が掲載された。長野県立飯田中学入学、この頃から詩作を始め、友人と読書会を結成し会長となり、廻覧誌『少年文芸』を編集、風翔、萍翠迂人の号を用いた。1904年に上京して母方の叔父の樋口龍峡に身を寄せ、旧制京北中学校2年に転入、校友会雑誌に風狭、風狭韻子の号で短文や詩を発表する。1906年に病気のために中退。
翌年北海道に旅行し、旭川新聞に「北海印象記」を連載。1908年に島村抱月が目当てで早稲田大学高等予科に入学し、飯田中学の校友会雑誌にツルゲーネフ「戦はゞや」の翻訳を発表。また、英文学と仏文学の恩師で、同郷でもある吉江喬松に私淑する[4]在学中の1912年から西條八十森口多里堀口大學石井栢亭、画人の長谷川潔永瀬義郎らと同人誌『聖杯』を創刊し、戯曲「美の遍路」や和歌の連作、詩や随想などを発表、ペンネームの日夏耿之介、号の夏黄眠、雛津之介を用い始める。翌年『假面』に改題し、1915年まで発行する。1913年『國學院雑誌』に「國語と語感と表現と」を発表し、以後も『早稲田文学』『水甕』『詩歌』などに作品発表。1914年に吉江喬松や『仮面』の一部メンバー西條八十、松田良四郎らに、芥川龍之介山宮允を加えて、愛蘭土アイルランド文学会を結成。芥川と親しくなる。1916年、鎌倉坂ノ下に転居、同じ頃に鎌倉で療養していた萩原朔太郎と交友を持ち、翌年刊行された朔太郎の『月に吠える』には理解を示す書評を書いた[5]。1917年、大森山王に移転。
翻訳者としては、壮麗な雅語を駆使してワイルドポー日本語に移し替え、三島由紀夫澁澤龍彦に多大な影響を与えた。また自らを「頑迷固陋なる徳川文人型旧詩人」と称し、書画骨董、多くの蔵書に囲まれて暮らし、部屋には聖母マリアの絵が掛けられていた。篆刻を嗜み、『風塵静寂文』見返しページで印影18顆を纏めていて、著作の検印にも使っていた[8]
木下杢太郎が『スバル』掲載の頃から評価し、長く交友を持ち、医師として発疹の治療も受けた[9]
年譜

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西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年明治25年〉1月15日 - 1970年昭和45年〉8月12日)は、日本詩人作詞家仏文学者小説家早稲田大学文学部文学科元教授。
長男の西條八束陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者
自費出版した処女詩集『砂金』(1919年)が好評を博し、抒情性に富んだ清新な詩風で、象徴詩人としての地位を確立。童謡、歌謡曲の作詞も多く手がけた。作品に詩集『一握の玻璃』(1951年)など。
生涯
東京府東京市牛込区牛込払方町(現在の東京都新宿区払方町)出身。石鹸の製造販売業で財を成したが、父親の死後、家庭は没落した。1898年明治31年)、桜井尋常小学校に入学。松井喜一校長に影響を受ける。
旧制早稲田中学校(現・早稲田中学校・高等学校)在学中に吉江喬松と出会い生涯の師と仰ぐ。吉江に箱根の修学旅行で文学で身を立てたいと打ち明け、激励を受ける。中学時代に英国人女性から英語を学んだ。明治末には、奈良英和学校立教大学の姉妹校)の後進校で学ぶ[1]。正則英語学校(現在の正則学園高等学校)にも通い、早稲田大学文学部英文科卒業。
早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年大正8年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学ポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早稲田大学文学部文学科教授
日中戦争が始まると他の従軍文士らとともに大陸に渡り、南京や漢口などの戦地に赴いた[2]。また、日本文学報国会詩部会幹事長として戦争協力を行い、軍人援護強化運動として「起て一億」の作詞を担当した。 1943年(昭和18年)には早稲田大学時代の同級生・外池格次郎が当時町長を務めていた茨城県真壁郡下館町(後に下館市を経て、現・筑西市)に疎開。以後戦後まで下館を拠点としていた。
戦後日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年昭和37年)、日本芸術院会員。 象徴詩の詩人としてだけではなく、歌謡曲作詞家としても活躍し、佐藤千夜子が歌ったモダン東京の戯画ともいうべき「東京行進曲」、戦後の民主化の息吹を伝え藤山一郎の躍動感溢れる歌声でヒットした「青い山脈」、中国の異国情緒豊かな美しいメロディー「蘇州夜曲」、古賀政男の故郷風景ともいえる「誰か故郷を想わざる」「ゲイシャ・ワルツ」、村田英雄の男の演歌にして船村メロディーの傑作「王将」など無数のヒットを放った。
また、児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人・金子みすゞを最初に見出した人でもある。
1970年(昭和45年)8月12日、急性心不全のため世田谷区成城の自宅で死去。78歳没。戒名は詩泉院釈西條八十[3]。墓所は千葉県松戸市に在る東京都立八柱霊園である。

新川 和江(しんかわ かずえ、1929年4月22日 - 2024年8月10日)は、日本詩人
西條八十に師事。第1詩集『睡り椅子』(1953年)を刊行し、詩誌「地球」の同人となった。愛情にあふれた詩風が特徴。作品に『ローマの秋・その他』(1965年)、『ひきわり麦抄』(1986年)、『いつもどこかで』(1999年)、『記憶する水』(2007年)など。
息子に作曲家編曲家キーボーディスト新川博がいる。
略歴
茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。

編曲家の新川博さん死去、69歳…代表作に「六本木純情派」「碧いうさぎ」
2025/01/18 19:46
 編曲家の新川博(しんかわ・ひろし)さんが8日、虚血性心不全で死去した。69歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、正子さん。
 東京都出身。松任谷由実さんらのツアーにキーボード奏者として参加した後、編曲家として活躍。1986オメガトライブの大半の編曲を手がけ、透明感のあるサウンドを創り上げた。代表作はほかに、小林麻美「雨音はショパンの調べ」、本田美奈子「1986年のマリリン」、荻野目洋子「六本木純情派」、酒井法子「碧(あお)いうさぎ」など。
 母は昨年8月に死去した詩人、新川和江さん。


「碧いうさぎ」(あおいうさぎ)は、酒井法子27枚目シングル1995年5月10日ビクターエンタテインメントより発売された。
解説
日本テレビ水曜ドラマ星の金貨主題歌。酒井法子のシングルとしては最大のセールスで、累計99.7万枚を売り上げた(オリコンチャート調べ[1])。日本レコード協会及びオリコンでは非ミリオン扱いだが、出荷枚数ではミリオンセラーを記録[2]
1995年末の第37回日本レコード大賞・優秀作品賞を受賞。また酒井自身『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場(2020年現在唯一の紅白歌合戦出演)し、日本手話を交えて歌った。


1/18/2025

大阪府大阪市天王寺区清水谷町14-18。LoL


18日午前5時10分頃、大阪市天王寺区清水谷町の27階建てマンションで、住民から「煙が出ている」と119番があった。13階の八田雅博さん(76)方の脱衣所の一部が燃え、八田さんと妻の都子さん(73)が病院に搬送後に死亡が確認された。大阪府警天王寺署が出火原因を調べている。
 発表によると、洗濯機周辺が激しく燃えていた。八田さんは脱衣所の入り口付近、都子さんは浴室で、いずれも服を着た状態で見つかったという。当時、孫の男児(10)が訪れていたが、別の部屋から避難。喉の痛みを訴えているが、命に別条はないという。
https://jyado.blogspot.com/2025/01/14-18lol.html

八っすか…。

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9 件のコメント:

  1. Oxford Languagesの定義 · 詳細
    ヤソきょう
    【耶蘇教】
    キリスト教。
    ▷ 「耶蘇」はラテン Jesus の中国語音訳から。

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  2. サイジョウ ギター -
    Fernandes/P-Projectの西條八兄(やつせ)氏が独立し、立ち上げたギターブランド。
    西條氏は日本を代表するギタービルダーと呼ばれる。

    非常に神々しく簡単には手出しできないレベルのブランドと感じられる。

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  3. クレクレを憚らず行われて来たって感じ?

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  4. はちすかサン@死国の向かい側、神戸でドンパチ始まりましたね、、、
    https://news.yahoo.co.jp/articles/f5f3179463f17cd5359e9ac0b3f21137f55decd4

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  5. 「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

    角川映画「人間の証明」(1977年)

    原作:森村誠一の小説「人間の証明」角川書店

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  6. 因幡の素兎で悪者にされてる八十神も?

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