1/05/2025

今年6月までに買収が完了しなければ、日鉄がUSスチールに5億6500万ドル(約890億円)の違約金を支払う義務が生じる。LoL


7/24/2024

日本製鉄 中国 宝山鋼鉄との合弁を解消.LoL


日本製鉄は、1970年代に日中の経済協力の柱として技術支援を行い、中国の鉄鋼産業の近代化に大きな役割を果たしましたが、現在、中国は世界最大の鉄鋼生産国となっています。
今回の合弁事業の撤退でおよそ半世紀にわたる関係は大きな節目を迎えることになります。
日本製鉄と中国の鉄鋼業との関係
日本製鉄と中国の鉄鋼業との関係は1972年の日中国交正常化をきっかけに始まりました。2国間の経済協力の柱としてまず、現地の鉄鋼メーカーへの技術支援のプロジェクトが行われます。その後、宝山鋼鉄の高炉の建設の支援も行い、1985年の稼働開始につなげました。
一方、中国側からは、1978年に当時の※トウ小平副首相が来日した際、当時の新日鉄の君津製鉄所を視察し、中国にとって日本の鉄鋼業の重要性が増していることを印象づけました。
その後、中国では経済成長に伴って自動車の生産や販売が拡大し、自動車向け鋼板の需要も拡大します。
これに対応するため、新日鉄は2004年に宝山鋼鉄との間で合弁会社を設立し、現地での自動車向け鋼板の生産や販売を行ってきました。
この間、中国は世界最大の鉄鋼生産国となり、GDP=国内総生産でも日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。
技術支援から始まった日本と中国の鉄鋼業
は、大きく姿を変え、今回の合弁解消でおよそ半世紀にわたる関係が大きな節目を迎えることになります。

https://jyado.blogspot.com/2024/07/lol_77.html
実質的に中国を育てたのは反米軍事大国に育てたのは日鉄。

中国が日鉄経由してゲットした「タタラ」技術を中国起源だと言い出すのも時間の問題でしょうから自発的に現場の反対を無視して技術を無償提供した日鉄は歴史捏造の共犯。
今後も強制返済を強いられ、最終的にはUSスチールに買収されてしまうかもね。そもそも今後、経済破綻確実な中国での成長は無理だとして撤退し、米国での生存戦略に賭けたわけですから。

USスチール買収阻止、アメリカ政府への訴訟以外に打開策見当たらず…日本製鉄側に違約金支払い義務か
1/4(土) 21:03配信
 日本製鉄による米鉄鋼大手USスチール買収計画の中止をバイデン米大統領が命令したことを受け、両社は3日、米政府への訴訟などを通じ、引き続き買収の実現を目指すと表明した。ただ現状では、提訴以外に打つ手は見当たらず、事態打開のハードルは非常に高い。
 バイデン氏は国家安全保障上の懸念や強靱(きょうじん)なサプライチェーン(供給網)の維持などを理由として、原則30日以内に「買収計画を完全かつ永久に放棄するために必要な全ての措置」を講じるよう両社に命じた。2月上旬が期限となる。
 一方、両社は、米政府の対米外国投資委員会(CFIUS)による買収計画の審査が「著しく適正さを欠いていた。バイデン政権の政治的目的を満たすためにあらかじめ決定されたものだ」と非難した。「法的権利を守るためのあらゆる措置を講じていく」とし、手続きの適正さなどを争い、提訴などに踏み切る方針だ。
 USスチールのデビッド・ブリット最高経営責任者(CEO)は「バイデン氏の行動は恥ずべきもので、腐敗している」とコメントした。
 両社は共同声明で「米国で事業を遂行することを決してあきらめない」と、今後も買収計画の実現を目指す方針を示した。しかし、20日に就任するトランプ次期大統領も計画には「全面的に反対」の立場で、決定は覆らないとみられる。
 買収計画では、今年6月までに買収が完了しなければ、日鉄がUSスチールに5億6500万ドル(約890億円)の違約金を支払う義務が生じる可能性もあり、日鉄には重荷となる。
 同盟国の民間企業が合意したM&A(合併・買収)を米大統領が阻止する異例の決定は、日本企業の対米投資に影響する可能性もある。武藤経済産業相は3日、「理解しがたく、残念だ。日本政府としても重く受け止めざるを得ない」とコメントした。
 一方、米国のジョン・カービー大統領補佐官は3日、記者団に「これは日本を巡る決定ではない。あくまで米国最大の製鉄企業の一つを米国所有の企業として維持し、鉄鋼の国内生産能力を保つためだ」との見解を示した。
 日鉄は2023年12月に買収計画を発表し、USスチールは24年4月の臨時株主総会で承認した。CFIUSは、審査期限の24年12月23日までに買収に伴う安全保障上のリスクを巡って合意できず、バイデン氏に最終判断を委ねていた。


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8 件のコメント:

  1. > 現場の反対を無視して
    > 技術を無償提供した日鉄は
    > 歴史捏造の共犯

    現場の反対云々は聞いた事あり
    日鉄も新日鉄もおかしくなりました

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    1. 日本のメーカー & 技術者 こぞって中韓に技術供与の風潮ww

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  2. うっかりミスだそうです。
    このブログ読んでいるとしか思えない。

    ホワイトハウス「うっかりミス」か 日鉄買収の発表文に謎の中国企業

    1/5(日) 13:10配信
    朝日新聞digital

     日本製鉄によるUSスチールの買収計画に対し、バイデン米大統領が禁止命令を出したことを伝えるホワイトハウスの報道発表文に、無関係の中国系企業の名称が表記されていた。担当者のうっかりミスとみられるが、いったい何と取り違えたのか。

     誤記があった発表文は、3日朝に報道関係者らに電子メールで一斉送信された。表題は「マインワン・クラウド・コンピューティング・インベストメントによる特定の不動産取得に関する命令」となっていた。

     表題に続く本文は、日鉄によるUSスチールの買収には国家安全保障上の懸念があるとして、バイデン氏が禁止を命じたという内容だった。表題だけがまったく無関係のものだった。

     この表題は、ホワイトハウスが2023年5月に発出した発表文と同じものだった。マインワン社は中国系の暗号資産(仮想通貨)企業で、当時、米ワイオミング州の土地を取得していた。だが、この土地が米空軍施設の近くにあったことから、安保上の問題が持ち上がった。発表文は、バイデン氏が土地の取得の禁止を同社に命じたことを知らせるものだった。
    朝日新聞社

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    1. 社名への思い

      Metal One
      メタルワン

      歴史と文化の異なる二つの組織が一つになり、全社員が⼀丸となって邁進していく意志。

      鉄鋼の流通業界で、数字のみならず機能・サービス・お客様満足度において
      No.1を目指すという高い志。

      三菱商事、日商岩井 ( 現双日 ) の DNA を互いに尊重しながらも
      それを刺激として新たな会社文化を生み出そうというチャレンジ精神を表してのものです。「メタルワン」という社名は、広く社員に公募して選ばれた名前です。

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  3. 稲山嘉寛氏と鉄鋼協定

     百煉鋼柔歴苦甘 終生是鉄誰能堪
     長城富士相輝映 不負周公一席談
     百錬の鋼 柔らかにして甘苦を歴し
     終生是れ鉄 誰か堪えるに能う
     長城、富士 相輝きて映り
     周公と一席を談ずるに負かず  

     1958年早春、私は広東省深せんの羅湖橋のたもとへ「日本鉄鋼代表団」を出迎えに行った。

     当時の深せんは南部辺境の小さな町だった。河畔には、平屋建ての民家やわらぶき小屋がわずかに点在していただけ。入境手続きをする旅客の長い列と朝日を受けた鮮やかな五星紅旗に、いくらかの生活感がうかがえるだけだった。

     この代表団のリーダーが「鉄鋼界の天皇」と称された、八幡製鉄常務取締役(当時)の稲山嘉寛氏(1904~87年)であった。それは私が北京で任務を受けた際に、初めて知ったことだ。いったいどんな人物か、超人的で豪快な金剛力士のような人だろうか。私にはまったく知る由もなかった。

     しばらくして立派な身なりの日本の紳士が、一行を率いて、香港と深せんをつなぐ羅湖橋の向こうから歩いてきた。中背で面長、インテリの教授のような風情だ。彼は私に近づくと突然ピタリと立ち止まり、帽子を脱いで深々とお辞儀をした。当時、若者だった私が驚いたことはいうまでもない。それが日本の「鉄鋼天皇」、稲山嘉寛氏との出会いだった。

     この年の春節(旧正月)休暇には、北京飯店中楼会議室で昼夜を分かたず中日双方の鉄鋼取引が行われた。しかし一週間がたっても、取引価格を互いに譲らない膠着状態が続いていた。日本側が断念の色をにじませ、商談はもはや決裂寸前といった様相だった。

     この時、稲山氏が私に話しかけた。「周恩来総理にあてた高碕達之助氏(東洋製罐社長、後に岸内閣通産相)の推薦状を持参している。商談もどうやらまとまりそうにないので、周総理をお訪ねしたいのだが……」という。高碕氏と周総理は55年のバンドン会議(インドネシアの都市バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議)で知り合っていた。

     私は驚き、急いで指導部に報告した。取引の指揮をとった廖承志氏(周総理のもとで対日政策担当、後に中日友好協会会長、全人代副委員長)はそれを聞くとすぐにホテルにやって来て、日本側に政府の意向を伝えた。温厚な廖氏の人柄もあってかそれまでの険悪なムードが一変し、穏やかな雰囲気となった。そして迅速な手配により、全員が中南海の紫光閣で周総理と会見することができたのである。

     周総理との会見は長時間にわたって行われ、これにより期限を五年とする長期鉄鋼協定がついに落着した。中国は砂鉄と石炭(原炭)を日本の鋼材とバーターする。輸出総額は双方ともに一億英ポンド。一行は破格の扱いを受けて早朝、中南海での協定調印式に臨んだ(『中日鉄鋼長期バーター協定』締結)。稲山氏一行はその後すぐに空港へ向かい、空路広州へと旅立った。インドでの商談に出席するためだった。同協定締結の電撃的なニュースは、日米の各メディアに大々的に報道された。

     何年も後のことだが、私は日本で稲山氏を訪ねる機会が幾度かあった。彼はその度に一冊のメモ帳を取り出して、かつての周恩来総理の言葉を繰り返し話してくれた。とりわけ次の話は、暗誦されるほどだった。

     ――「得道多助、失道寡助」(道に適えば助けが多く、道にそむけば助けが少ない)。鉄鋼生産は国民経済の基礎です。それは平和のための貢献もできれば、戦争への荷担もできる。我々は、あなた方の鉄鋼が平和の鉄鋼であることを希望します。中国は平和五原則を踏まえて、アメリカを含む世界各国との友好関係の構築を望んでいます――

     現在、日本には、アメリカに対して「ノー」と言うべきだという人がいる。そういう時代になったのだ。しかし戦後の日本はアメリカの資金と技術を借りて鉄鋼生産を復興し、発展させた。稲山氏はこれに大きく寄与した。彼の当時の訪中は、アメリカの承諾を先に得てからのものだった。それで周総理のあの結びの言葉が、稲山氏にとっても特別な意味があったのだ。ニクソン米大統領の訪中と『上海コミュニケ』(中米共同声明、七二年)発表後、彼は周総理の言葉を引いて、いつもこう付け加えていた。「周総理の話はなんと素晴らしいことか!その後の国際情勢の発展は、彼が話していた通りになった」

     遺憾なことには五八年、この総額二億英ポンドもの大口バーター貿易が、両国の国交正常化を促す役割をもった第四次『中日民間貿易協定』とともに、「長崎国旗事件」(長崎で暴徒が中国国旗を侮辱した事件)の発生で中止させられた。中日貿易はそれから二年半の中断状態に陥る。その後、六〇年代の中国の激動期と日本の高度成長期を経て七一年、稲山氏は代表団を率いて北京を再訪し、周総理の歓迎を受けた。

     72年の中日国交正常化後、彼は日中経済協会会長に就任。またすぐ後に「財界総理」と称される経済団体連合会(経団連)会長の任に就き、ほとんど毎年のように日本財界名士の訪中団を組織した。

     長年の交渉と熟考を経てついに七八年、中国の石油と石炭を日本のプラント、建設機材と交換する大規模な『中日長期貿易協定』が調印された。それは中国の改革開放や外資導入、共同開発、経済協力の拡大を促す第一歩となっている。

     武漢製鉄所の一・七 圧延機設備の導入と上海宝山製鉄所建設についての商談は、中国国内で起こった異論のために何度か遅延されたが、それでも彼は困難にめげず、勇敢に立ち向かった。そしてついに水が溝を成すように、成功の時を迎えた。八五年、大型代表団を率いて空路上海に到着し、宝山製鉄所一号高炉の火入れ式に出席。彼は回顧録の中でこう述べている。「(もともと)文字通りのグリーンフィールドだった宝山が、中国現代化の象徴ともいうべき一大鉄鋼生産基地に生まれ変わりつつある姿を目の当たりにして、まったく感無量であった」と。

     稲山氏に最後に会ったのは86年、『中日長期貿易協定』のための定期会合の折だった。私は中国中日長期貿易協議委員会の劉希文主任らを伴って、彼と昼食を共にした。同席したのは、斎藤英四郎(新日本製鉄会長)、平岩外四(東京電力会長)、河合良一(日中経済協会会長)諸氏だ。

     その席で稲山、斎藤両氏と私は、30年ほど前に深ロレで初めて会った時の思い出話をした。私は当時、ひどく緊張していたので「鉄鋼天皇」が意外にも親しい間柄の、東京帝国大学(現・東京大学)の大先輩であるとは思い至らなかった、と打ち明けた。彼らはみな笑っていた(斎藤、平岩両氏はその後、稲山氏の後任としてそれぞれ「財界総理」のポストに就いた)。

     稲山氏は謙虚で礼儀正しく、柔と剛とを相併せ持っていた。頭から拒否することなく、最後には道理で人を納得させた。これこそ「百錬の鋼、指の絡まる柔らかさの如し」の人と感嘆せざるを得ない。

     彼は何度も訪中した。黒竜江省・大慶油田の見学以外はどこへ行くわけでもなく、観光を楽しむこともなかった。暇ができると仲間を探しては囲碁を打ち、マージャンを楽しんだ。初訪中の時には私にそっと耳打ちしたものだ。「トランクの中にマージャン牌をしまっているのだが、北京では、果たして打ってもいいのだろうか?」。お金を賭けなければ大丈夫ですよ、というと、彼はいたずらっぽく「少しだけね……」といって目を細めた。

     八〇年代初め、駐日中国大使館での任にあたった時、私は北京の中日合弁ホテル「長富宮飯店」の調印式に出席、稲山氏も出席していた。万里の長城と富士山にちなんだホテルの命名に、彼はたいそう喜んだ。レセプションでは、最もお気に入りの「鉄」の「訓詁」を話してくれた。いわく、鉄の繁体字(正字)「鐵」は「金・王・哉」の字からつくられる。これは「鉄」が五金(金・銀・銅・鉄・錫)の王であることを示す。ある人は、略字の「鉄」は王座を失った(金失王哉)という。だが、しかし「鉄」は「依然として五金のひとつである」――と。

     まさに「終生是れ鉄」の「鉄鋼天皇」たるに恥じない人物だった。 (筆者は林連徳、元中国対外貿易部地区政策局副局長、元駐日中国大使館商務参事官。)


    人民中国インターネット版

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  4. おやおや、自動車その他の値段また上がっちゃいますねw

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    1. 違約金は顧客向けに転嫁できんでしょww

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