11/23/2024

唐辛子を白菜と漬け込んだ食品(元祖キムチ)は日本のサンカ(縄文人)発祥。LoL


中国ネットユーザー「キムチは中国の食べ物」…徐坰徳「文化侵奪が深刻」
2024年11月22日 12時8分
中央日報
中国の一部のネットユーザーが韓国の「キムチ」を自国の食べ物のようにオンライン上に広報し、論争を呼んでいる。
11月22日の「キムチの日」を迎え、徐坰徳(ソ・ギョンドク)誠信女子大教授は「最近ネットユーザーから情報提供を受けて確認したところ、中国SNSに『キムチ』『中国』などのハッシュタグを付けて多くの映像が載せられていた」と伝えた。
中国SNSだけでなくユーチューブショート、インスタグラムリール、Tik Tokなど多様なところに広がっていて深刻な状況」と懸念を表した。
2021年に登録者約2000万人を保有する中国ユーチューバのー李子柒がキムチを漬ける映像を載せながら「ChineseFood」というハッシュタグを付け、韓国ネットユーザーの怒りを買った。
徐教授は「中国環球時報など国営メディアでもキムチに関連した自国内の世論糊塗用記事が出るなど『キムチ工程』が絶えない」とし「朝鮮族の国籍と生活拠点が中国であることを前面に出して韓国固有の文化を自国の文化に編入しようとしている」と主張した。

 

2012年10月2日火曜日

キムチ日本起源説

 英国人の東洋史学者ホールデン教授(日本・中国の歴史専攻)の研究の結果、キムチのルーツは日本だと分かった。
この英国人学者の研究によると、 キムチに不可欠の唐辛子は、15世紀にポルトガルから南蛮貿易で日本の長崎にもたらされた。その後、九州で栽培に成功し薬剤として普及していく。
唐辛子を白菜と漬け込んだ食品が(元祖キムチ)が、九州の漁師達の保存食として用いられるようになった。
漁師や漁民たちの持病である脚気の防止に大変効能があったためだ。
16世紀後期になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本水軍の九州兵が、保存食・滋養食として携行した。この戦争において、日本水軍兵の食する元祖キムチが朝鮮兵と朝鮮民衆に伝わり、その保存性・滋養が注目され、戦闘食として朝鮮軍にも食されるようになった。「こうしてキムチは、日本から朝鮮に伝わった」と、この英国人東洋学者は語る。この英国人学者は、この研究結果を近く、ロンドンの出版社より図書として刊行する予定といい、日本や米国でも出版する考えだという。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003112655648

https://tokumei10.blogspot.com/2012/10/blog-post_3254.html

チリソースも豆板醤も…


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14 件のコメント:

  1. 市販の安いキムチ食べると体調やおなかの調子が悪くなるのは、
    人工甘味料・アミノ酸調味料・いろんな添加物とかがたくさん入ってるから?

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  2. ザワークラウトよりキムチのほうが美味い。
    日本みたいな気候にザワークラウトは合わないと思う。
    ザワークラウトにも、唐辛子と塩を追加したほうがいいとおもう。

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  3. ザワークラウトは珍子双生児専用w

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  4. 白菜は塩だけでいいです()

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    1. ザワークラウトもキャラウェイシード無しで旨よ
      要するにただの塩漬けw

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  5. 不衛生な環境でアミの塩辛やらハチミツやら唾やら何やら混ぜ混ぜして腐らせる白菜漬けw

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  6. 中南米の熱帯アメリカ地域が原産とされる。栽培の起源地はメキシコだと考えられていて、メキシコ中部で紀元前6500 - 5000年頃の栽培型が出土している。アメリカ大陸の各地では、約2000年以上前から栽培が行われていた。南米ペルーでは、1世紀頃の遺跡からトウガラシ模様が入った織物が発見されている。インカ人はトウガラシをアヤ・ウチュ(「辛辣な者」の意)神として崇拝していた。

    ヨーロッパへは、アメリカ大陸に到達したクリストファー・コロンブスが1493年にスペインへ持ち帰ったことにより、ヨーロッパ全域に広がった。以後、シルクロードを経て、インドや中国に伝わる。トウガラシは15世紀に中南米からヨーロッパに紹介されてから、250年足らずでほとんど世界中に広まった。トウガラシは19世紀になるまでアルプスの北側ではあまり食べられてこなかった(この地域では辛味を加える食材としては、寒冷な気候でも栽培しやすいマスタードやホースラディッシュのほうが今でも好まれている)。

    日本への伝来は、安土桃山時代以降の16世紀から17世紀頃に複数のルートで同時期に伝わったとされ、1592年の豊臣秀吉による朝鮮出兵のときに種子が導入されたという説や、1542年にポルトガル人によってタバコとともにトウガラシが伝来したという説がある。江戸時代中期から広く栽培されるようになった。江戸時代までは辛味がある品種しかなく、明治時代になって欧米から辛味のない品種(シシトウガラシ)が導入されて、当初は「甘トウガラシ」と呼んでいた。

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  7. キムチも元は
    唯の唐辛子入り塩漬けが元祖って事ヨネ

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    1. 白菜漬けに唐辛子くらい入れるわな

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    2. 冷蔵庫のない時代の伝統的な保存食品としてのキムチは、腐りやすくなるようなものは入ってないのでは?

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  8. ここ十年くらいキムチ・ニラ・卵・カルビ入り温麺の店、探してるが、いまだに行き当たらん 鶴橋にも好みのタイプはなさそうだし

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  9. 文字で残ってるもの
    8世紀の天平年間に、平城宮から発掘された木簡に書かれた須々保利、楡木〈ニラギ〉、滓漬の文字です。さらに天平11年〈739〉の写経司解にある『菁一圍別塩三合』『瓜一百果別塩二升』の文章、更にこの天平から神護景雲を経て、宝亀〈780頃〉にいたる奈良時代には、この他、食物雑物納帳、食料下充帳などにも多くの漬物が見られます。当時の漬物は食塩がなければ出来ません。塩が『藻塩焼く』から長門あたりで作られた煎塩鉄釜に変わろうとする時代で、まだ貴重品で高価らしく『漬瓜一果』『漬菜二合』などの単位で、僧侶以下舎人以上とか、経師以下雑仕以上に支給したと書いてあります。  奈良時代の多くの漬物を、総合的な製造法として示したのが、醍醐天皇の延喜5年に編集が始まり、25年目の延長8年〈930〉に進献された『延喜式』です。 『延喜式』には塩漬、醤漬、糟漬、楡木〈ニラギ〉、須々保利、搗〈ツキ〉、荏裹〈エツヅミ〉の7種類が記載されています。

    文字で残ってないもの
    縄文時代
    海水を利用した藻塩が作られていました。
    この塩を使って野菜だけではなく木の実、動物の肉、魚などを土器に漬け込んで保存食としていました。

    そして
    >九州の漁師達の保存食

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  10. ウチの母親方の親類(既に鬼籍)が昔、オキアミ入りの漬物を送ってくれたことがあった これが物凄くしょっぱい、けれどご飯やお茶漬けに合わせると案外いけた(味的にはアンチョビに近かった) もうかの地でも作ってる人少ないかも
    で、韓国のキムチってこのオキアミを入れるのが本来の味って聞くけどどうなんだろ

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  11. キムチ好きの語り合う場にwwwww

    酸化食品w
    山窩食品w

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