10/29/2024
記事のタイトルが変だったので訂正しときました。
まあぶっちゃけエヴェンキだらけなんですよ。
まあぶっちゃけエヴェンキだらけなんですよ。
でもね…
同一人物説
源義経とチンギス・ハーンは同一人物だった!/ホームメイト
悲劇のヒーローとして有名な源義経には、突拍子もない伝説や逸話が多い。義経に対する人々の同情心が「判官贔屓」という言葉を生み、数々の物語や伝説が生まれてきた。ちなみに「判官(ほうがん)」とは、後白河法皇が義経に与えた役職のこと。判官贔屓は「はんがんびいき」とも読むが、特に義経を指して使われるときは「ほうがんびいき」と読むのが一般的だ。そんな判官贔屓から生まれた伝説のひとつに、義経とチンギス・ハーンは同一人物だったという説がある。現在、学術的には完全に否定されているが、江戸時代中期頃には、この説をまことしやかに語る文化人も少なくなかった。
義経がチンギス・ハーンになるまで
源義経
1159年(平治元年)に源義朝の子として生まれた義経。生まれてすぐに平治の乱で父が敗死したため鞍馬寺に預けられるが、僧になることを拒否して、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼り、奥州に下った。
その後、1180年(治承4年)に、兄の源頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、源義経もこれに参戦。一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いを制し、平氏滅亡の最大の功労者となった。
しかし、勝手に朝廷から官位を受けたことから、頼朝の嫉妬を買い、対立するようになる。
追い詰められた義経は、かつて世話になった奥州の藤原秀衡を頼るが、直後に秀衡は老齢のため死亡してしまう。1189年(文治5年)、秀衡の息子、泰衡は、頼朝からの圧力に耐えかねて、義経が滞在していた衣川館を襲撃。義経は妻子とともに自害した。
史実に基づいた義経の一生はここまで。義経=チンギス・ハーン説はこのあとも続く。実は義経は衣川では死んでおらず、北に逃れて蝦夷に達し、大陸に渡ってモンゴル帝国を築いたというのだ。義経北上説の根拠
義経が蝦夷に渡ったとする説は、古くは室町時代の御伽草子「御曹子島渡(おんぞうししまわたり)」に見ることができる。
江戸時代になると、儒学者の林羅山(はやしらざん)は、幕府の命で編纂した「本朝通鑑(ほんちょうつがん)」で、義経は蝦夷に渡って子孫を残したという説があることを紹介している。
また、朱子学者の新井白石(あらいはくせき)も、【読史余論(とくしよろん)】や【蝦夷志】などで「義経北行説」を提唱している。
また、冒険家としても知られる水戸藩主の徳川光圀(とくがわみつくに)は、蝦夷に調査団を派遣し、「大日本史」で義経北行説を唱えている。蝦夷に残る義経の足跡
義経北上説を提唱する人は、蝦夷の地に義経の痕跡が見られることを根拠としている。例えば、義経が文字を奪ったというアイヌの伝説。義経がアイヌの文字が記された巻物を書き写したところ、巻物が白紙になり、アイヌから文字が失われてしまったという言い伝えだ。
また新井白石や徳川光圀は、アイヌ民話に登場する、アイヌの創造神「オキクルミ」は義経であり、その従者の大男「サマイクル」は弁慶であるとする説があると紹介している。しかし、この説はのちに言語学者の金田一京助によって否定されている。
義経=チンギス・ハーン説の根拠
蝦夷に渡った義経とチンギス・ハーンを結び付けたのは、ドイツの医師で博物学者のシーボルト。
1823年(文政6年)に来日したシーボルトは、帰国後に日本研究の集大成とも言える「日本」を刊行し、その中で義経はチンギス・ハーンであると結論付けた。
林羅山や新井白石、シーボルトなどの文化人によって書かれた資料が裏付けとなり、判官贔屓の人々の夢と希望をのせて、義経=チンギス・ハーン説は広く受け入れられていった。
そして、大正末期に牧師でアイヌ研究家の小谷部全一郎によって書かれた【成吉思汗ハ源義経也】は大ベストセラーになったと言う。
シーボルトの主張
シーボルトは新井白石らが記した資料に、独自の解釈を加えて、義経はチンギス・ハーンであると結論付けている。
その理由のひとつは時系列の一致。義経が死んだとされる1189年(文治5年)以降、突如としてチンギス・ハーンが歴史の舞台に躍り出ていること。また、チンギス・ハーンが得意としていた長弓は中国やモンゴルにはなかった物であり、日本独特の物であること。
またチンギス・ハーンの「ハーン」は遊牧民の君主や有力者が名乗る称号であり、日本の役職名を示す「守(かん)」に由来し、義経を指しているのではないか、と言うことなどを根拠としている。
小谷部全一郎の主張
小谷部全一郎の【成吉思汗ハ源義経也】には、日本語とモンゴル語の言葉の類似が、理由のひとつとして挙げられている。
例えば、チンギス・ハーンは「ニロン族」であり、これは日本を指しているという。また、チンギス・ハーンの別名は「クロー」であり、これは義経の官職であった「九郎判官」ではないか。モンゴル帝国の「元」は「源」から来ているのではないかなど、少々こじつけのようなものも含まれている。
また、1206年にハーンに即位したとき、9本の白旗が掲げられたと言われているが、白旗は源氏の旗印であり、9本は義経の官職であった九郎判官を表しているのではないかといったことも理由として挙げられている。
➡チンギス・ハーンは「ニロン族」であり、これは日本を指している
で、
で、
オクスフォード大学のY染色体調査研究
2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームは、DNA解析の結果、チンギス・カンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるという結論を発表した。ウランバートル生化研究所との協力によるサンプル採取と解析の結果、彼らによれば、モンゴルから北中国にかけての地域で男性の8%、およそ1300万人に共通するY染色体ハプロタイプが検知出来たという。この特徴を有する地域は中東から中央アジアまで広く分布し、現在までにそのY染色体を引き継いでいる人物、すなわち男系の子孫は1600万人にのぼるとされる。研究チームはこの特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンであると推測しており、この解析でマーカーとされた遺伝子は、突然変異頻度に基づく分子時計の推計計算により、チンギス・カンの数世代前以内に突然変異によって生じた遺伝子である可能性が高いという仮説を発表した([1]、[2])[16]。
この研究を主導したひとりクリス・テイラー=スミス Chris Tyler-Smith は、チンギス・カンのものと断定する根拠として、このY染色体は調査を行った地域のひとつ、ハザーラ人やパキスタン北部のフンザの例をあげている。フンザではチンギス・カンを自らの先祖とする伝説があり、この地域はY染色体の検出が特に多かったという。さらに、彼は東洋で比較的短期間に特定のY染色体を持つ人々が広がった根拠として、これらの地域の貴族階級では一夫多妻制が一般的であり、この婚姻習慣はある意味で、生殖戦略として優れていたためではないか、と述べている。
しかしながら、この論説に対しては批判もあり、特に集団遺伝学者でスタンフォード大学のルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァは、Y染色体の広範な分布について、共通の先祖を想定することには同意出来るものの、これを歴史上のある特定の人物の子孫であると特定するには正確さを欠いている、として異議を唱えている。さらに、分布の状況と一夫多妻制が原因しているとするテイラー=スミスの見方に対しても、「あまりに短絡的かつ扇情的」であるとして非難している[17]。(同研究グループは同様の別の研究で、東アジアの男性約1000人のうち3.3%に現れた特定のY染色体について、その共通祖先は清朝初代皇帝ヌルハチの祖父ギオチャンガに比定しているが、カヴァッリ=スフォルツァはこの断定にも同様に根拠が薄弱であるという理由で異議を唱えている)
オックスフォード・アンセスターズの遺伝学者ブライアン・サイクスも研究が発表された2003年に出版した著書『アダムの呪い』で上記の研究を紹介しているが、「状況証拠は有力だが、残念ながら証明はできない」としながらも、検出されたY染色体についてチンギス・カンのものであるとほぼ断定している。同氏は人類の繁殖と拡大にはY染色体による男性の暴力的な性格や支配欲が密接に関係しているとする見解に立っており、チンギス・カンに対する人物評についても「チンギスハーン本人が、みずからのY染色体の野心によって突き動かされ、戦でも寝床でも、勝利することになった」という見方をしている[18]。だが同氏の見解のとおりだと、英国にも一定頻度で同様のY染色体キャリアがいることについて説明が出来ない、との反論がある[19]。
ケンブリッジ サンガー研究所の研究
大手遺伝子研究所であるケンブリッジ サンガー研究所のカーシム・アユブ博士(Qasim Ayub, PhD Sanger Institute,CAMBRIDGE) らはアジア人の起源について研究していた。 アジア全域から集められた2000人以上の男性の血液サンプルを採取しDNAを抽出。 分析の結果、対象サンプルの多くがある同一の家系に属していることが判明した。 対象の8%にほぼ同一のマイクロサテライト(DNAの短い配列の繰り返し)が見られた。 考えられるのは彼らには同じDNAを持つ共通の祖先がいるということ。 その祖先がどの時代の人物かを割り出すと、およそ1000年前で、さらにその遺伝子の発祥地はモンゴルであることも判明した。 モンゴルで同一の遺伝子集団が多く見られたこと、また時代を考慮すると、その祖先とはチンギス・カンである可能性が高いという。世界の3200万人がその遺伝子を引き継いでいると結論づけた。
要するに現在の人類文明ってのはほぼ全て日本発祥で、更に言われてるより遥かに短く、中国ン千年の歴史なんて大嘘。せいぜい千年ってとこ。
日本人のチンギスハーンの遺伝子が入ったとこから現代文明へと発展していったわけ。
だからキリスト教も日本発祥。だから再臨したイエス・キリストも日本人血統。
LoLLoLLoLLoLLoLLoLLoL
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> 言われてるより遥かに短く、
返信削除> 中国ン千年の歴史なんて大嘘。
> せいぜい千年
おー
上の上のエロい方々では
常識の話になってんだよね?
欧州よりも中近東が
早く文明が高まった歴史だけど
モンゴル帝国領土拡大時系列順で
文明が飛躍的に高まったって感じ
鎌倉時代まで進んだら
削除混血も進んでいってますヨネ
トンデモやと思ってたらマジやったでござるの巻きw
返信削除頼朝なんか血統絶えてるのに対照的w
返信削除まだ骨も歯も見つかっておらんのよね
返信削除ドSの弁の話は前振りだったのねw
返信削除(汗)も、ここ由来だったりしてww
返信削除昔モンゴル帝国こそが世界史を作った
返信削除みたいな趣旨の本を読んだことがあったけど
要するにそれまでは西欧はローマ帝国から続く歴史
アジアは中国大陸中心の歴史
みたいに分かれて自分たちを理解してたけど
チンギスハーンがヨーロッパに進出したことが原因で
「世界」の認識が変わった と
んならば「世界」を作ったのも日本人なのかにゃ
にゃははw
違うねwwwww
削除Automode発動かも 爆
仁義好かんwwwwww
返信削除後の元寇襲来は頼朝憎しの侵攻だったら壮大な兄弟喧嘩w
返信削除ワロタwwwだったら面白すぐるwwwww
削除欧州でありがちwww
削除キリストも義経も
返信削除青森
戸来
一戸から九戸
神の戸、があるんすかね〜