2024年3月31日日曜日
常用漢字論―白川漢字学説の検証
2016年09月23日
556「荒」は「飢饉の状態」の意味か?
「荒」
白川静『常用字解』
「形声。音符は巟コウ。巟は死者の形で、その残骨になお頭髪が残っている形。そのような死体が草の間に棄てられている状態を荒といい、飢饉の状態をいう」
[考察]
字形の解剖に疑問がある。巟を頭髪が残っている死者の残骨の形とするのは全体を象形文字と見たのであろうが、「亡+巛」に分析できるのは明らかである。巛は流の右下と同じで、川(水の流れる形)と同じである。
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴で、 巟(死者の残骨)+艸(草)→死体が草の間に棄てられた状態→飢饉の状態というぐあいに意味を展開させる。死体を野原に棄てることと飢饉の関係に必然性があるだろうか。飢饉とは食料が乏しい、食うものがなくひもじいという意味であって、死体を棄てることと言語上のつながりはない。
意味は「言葉の意味」であって字形に由来するものではない。言葉が具体的な文脈で使われる際の、その使い方に現れるものである。荒は古典でどんな文脈で使われているかを見てみよう。
①原文:哀恫中國 具贅卒荒
訓読:哀恫するは中国 具(とも)に贅ゼイして卒(ことごと)く荒る
翻訳:痛ましいかな中国は どこもかしこも荒れ放題――『詩経』大雅・桑柔
②原文:三曰喪荒之式。
訓読:三に曰く喪荒の式。
翻訳:[節約の必要な儀式の]三番目は葬式と凶年のときの儀式――『周礼』天官・大宰
③原文:顚覆厥德 荒湛于酒
訓読:厥(そ)の徳を顚覆し 酒に荒湛す
翻訳:おのれの徳を投げ捨てて 酒におぼれてすさむ――『詩経』大雅・抑
①は雑草が茂って土地が荒れる意味、②は作物が育たない(食糧が乏しい)の意味、③は仕事を放棄して遊びほうける(溺れてふける、すさむ)の意味で使われている。これを意味する古典漢語がhuang(呉音・漢音でクワウ)である。これを代替する視覚記号として荒が考案された。
荒は「巟コウ(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」と解析する。巟にコアイメージの源泉がある。巟はめったに使われない字で、荒の造形のための特別な記号である。巟は「亡(音・イメージ記号)+巛(=川。水の流れる形。イメージ補助記号また限定符号)」と分析できる。亡は「遮り止める」というイメージがある(「亡」で詳述するが、取りあえず198「喝」を見よ)。このイメージは「何かに遮られて(覆われて)姿が見えない」というイメージに展開する。したがって巟は一面に水に覆われて何も見えない情景を設定した図形である。これによって「(平面が)覆われて見えない」というイメージを表すことができる。かくて荒は地面が雑草に覆われている情景を暗示させる。この図形的意匠によって①の意味をもつhuangを表記する。
『詩経』では「葛藟之を荒(おお)ふ」(クズやカズラが他の木に覆いかぶさる)という用例もある。コアイメージがそものまま意味として実現されている。②は①から雑草に覆われて肝心の作物が育たないという意味を派生したもの。これが不作・飢饉の意味。③は心理的な意味に転じた場合である。②はみのりのない状態である。これを比喩として、みのりのない生活に溺れて精神的に荒廃するという意味である。
http://gaus.livedoor.biz/archives/11021916.html
せめてタヒら川さんだったら…
タ◯ラ側で俵と平も多少は…
、、、(爆wwwwwwwwwww
山本一郎が、フェースブックで、自分はめかけの子供だったと告白してるぞ。
返信削除正宗エリザベス
返信削除略歴
1987年1月 在日オーストラリア大使館貿易促進庁入庁
2007年8月 在日オーストラリア大使館公使兼貿易促進庁日本総支配人
2011年10月 オーストラリア貿易促進庁東北アジア地域本部長
2013年9月 オーストラリア貿易促進庁貿易本部本部長
2014年3月 株式会社@アジア・アソシエイツ代表取締役
2014年7月 オーストラリア取締役機構グラジュエイト(GAICD)取得
2015年6月 国立大学法人千葉大学経営協議会委員(現任)
2015年7月 株式会社@アジア・アソシエイツ・ジャパン代表取締役(現任)
2015年11月 株式会社アドバンジェン取締役(現任)
2016年6月 東京商工会議所日豪経済委員会次世代リーダープログラム担当委員(現任)
2016年12月 株式会社パソナグループ顧問(現任)
2017年12月 株式会社パソナグループ淡路ユースフェデレーション専務理事(現任)
2018年6月 当社取締役(現任)
2019年6月 荒川化学工業株式会社取締役(現任)
2022年11月 文部科学省スーパーグローバル大学創成支援プログラム委員会委員(現任)
2023年4月 テクノホライゾン株式会社顧問(現任)
2023年6月 アステリア株式会社取締役(現任)
芒
返信削除川
艸
返信削除亡
川
かなりの開示ありがとうございます
返信削除なんかクライマックス近そうですね
エリザベスはバプテストヨハネの母のエリザベツ(エリザベス)も連想しますね
返信削除祭司アロンの家系の血統でレビ族
草の一生でしょうかね・・・
返信削除埼玉県、山梨県、長野県の三県が境を接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、奥秩父)に源を発し、秩父山地の水を集めながら秩父盆地まで東に流れる。秩父盆地から長瀞渓谷まで北に、その先は東に流れて大里郡寄居町で関東平野に出る。熊谷市で南南東に向きを変え、川越市で入間川を併せる。戸田市から再び東流、埼玉・東京の都県境を流れ、北区の新岩淵水門で隅田川を分ける。その後、足立区で向きを変えて再び南流し、江東区と江戸川区の区境で東京湾に注ぐ
返信削除1629年(寛永6年)に関東郡代の伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、現在の元荒川を流下していた河道を、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるように瀬替えを行なった。なお現在、元の河道は、締め切られた熊谷市久下で地下水湧水(現在は人工揚水)を源流とし、吉川市で中川と合流する元荒川となっている。
付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を流下し東京湾へ注ぐこととなった。この部分は流速が遅く、台風で大雨が降るとしばしば溢れて江戸の下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった。洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋と農作物の被害は深刻であった。しかし、荒川の河川舟運にとってはこの瀬替えによって水量が増えたことにより物資の大量輸送が可能となり、交通路としての重要性を高めた